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年月を丁寧に重ねる

春になり、久しぶりに来院した学生の身長や顔つきの変化に驚き、

 

「今何年生だっけ??」

 

と聞くと、

 

「今年から中学生です」であったり、

 

「今年3年でもう大学受験の準備しなくちゃです」であったり、

 

 

子供というのはあっという間に大人に向かって進んでいくんだな、と微笑ましく思うと同時に、

 

ということは自分の人生の時間もその分進んでいるんだよなと、

 

せっかく忘れていたことを思い出させられるような感覚になります。

 

 

この春で我が息子も3歳。

 

もうだいぶ喋ったり、遊び方も増えたりと、

 

赤ちゃんだった頃が懐かしく思えます。

 

そして私はいよいよ30代最後の1年。

 

自分の事を“おじさん”でなく“お兄さん”で通すのはそろそろツラそうです。

 

年齢のせい

患者さまから、

 

「もう年だから仕方ない」

 

「整形外科に行ったら“年齢ですよ”と言われた」

 

と、身体の症状を年齢、つまり“年を取ったから仕方ないことだ”、

 

というようなことをよく聞きます。

 

 

私たちのような施術家は年齢で症状を決めつけることはしません。

 

人生100年時代の現代において、

 

私よりも遥かに元気な60代以降の先輩方は沢山いらっしゃいます。

 

 

ですが、年齢が違えば身体が違う、というのは事実です。

 

0歳児に外を1人で歩かせるのは酷です。

 

どんなに鍛えていようと、7歳児に100Kgのベンチプレスは無茶です。

 

 

私たちの身体は常に変化をしながら保っています。

 

それは細胞のように日々新しく生まれ変わるものもあれば、

 

運動のように学習から対応することで保とうとするものもあります。

 

 

長い年月を生きてきた、ということは、

 

その分の負担を経験してきたということです。

 

重力や引力の影響を常に受けながら、

 

走ったり、掃除をしたり、同じ姿勢を維持したりと、

 

否応なしにかかる負担の中で生きています(たとえ自覚はなくとも)。

 

 

よって、

 

5年負担に耐えた身体、

 

10年負担に耐えた身体、

 

20年、30年、60年、90年耐えた身体・・と、

 

それは違うに決まっています。

 

大人になっていく

患者さまに「もう年だから」と言われると、

 

よく私は「大人になったんですよ。」とお伝えします。

 

 

自分の頭部を支える事もできない状態で生まれ、

 

首が座り、立ち、歩き、

 

背が伸び、

 

スポーツをし、難しい問題を解き、

 

仕事をこなせるようになり、

 

筋肉が落ち始め、関節が変形し、

 

背が縮み、

 

身体の機能が低下し、

 

いずれ命が尽きる。

 

それが人間です。

 

 

能力が上がる時期もあれば、

 

下がる時期もあります。

 

これらを受け入れながら、

 

その上でどう健康な自分を目指していくのか。

 

 

その心構えがとても大切になります。

 

丁寧に重ねていく

“年をとる”

 

というとマイナスな印象になるため、誰が言い始めたのか最近ではよく、

 

“年を重ねる”

 

という言い方が広まっています。

 

 

それは私もとても素晴らしい言い回しであると思います。

 

 

私たちの人生とは決して減点方式でなく、加点方式であり、

 

それは避けることはできません。

 

 

私はよくこのような想像をします。

 

 

 

1秒1秒、天から紙が1枚落ちてきます。

 

それがどんどんと積みあがる。

 

 

何も考えずぼーっとそれを受け入れていると、

 

ただ雑に紙の山が出来ていきます。

 

それが10年、30年、50年、70年続いていく。

 

そしていつの日か、紙は落ちてこなくなり、

 

その紙の山は跡形もなく焼失します。

 

 

生まれた時から、あなたはその紙の上で暮らしています。

 

紙が1枚降りてきてはその上に乗り生活をしている。

 

 

まだ枚数が少ない時はさほど影響はありませんが、

 

沢山重なれば重なるほど、

 

どんどん不安定になります。

 

 

ある人は(Aさんとします)、その紙を何も考えず、

 

ただ重なったように重ねて、その上で暮らしています。

 

 

またある人は(Bさんとします)、その紙を1枚1枚、

 

丁寧に重ねて生活をしています。

 

 

同じ日、同じ時間に生まれたAさんとBさん。

 

同じ枚数の紙が重なっています。

 

 

しかしAさんは不安定な紙の山の上で暮らし、

 

Bさんは安定した紙の柱の上で暮らしています。

 

 

ひらひらと予測不可能で紙は落ちてきます。

 

それをどう対処し、いかに早い内に修正できるか。

 

 

しかし、私たちは紙の上で生活しているので、

 

自分で遥か下の紙を触ることはできません。

 

 

修正できるのは今乗っている紙の分、

 

またはかろうじて手の届く触れる紙の分。

 

そしてこれから振ってくる紙の分だけです。

 

 

だから丁寧に重ねていくこと。

 

 

この紙が崩れることは滅多に起こることではありません。

 

どんな不安定な状態でも崩れず保っています。

 

ですがそれでも崩れたり、自分が落下したりするリスクはあります。

 

よって、その上で生活する人にとっては、紙の重なり方で快適さが違うはずです。

 

 

どんなに丁寧に紙を重ねて生きてきたとしても、

 

急に意図せず横から風が吹いて紙がズレるかもしれない。

 

 

だからその紙が不安定な状態であることも別に恥じる必要はありません。

 

どんな形であっても、いかにバランスが取れていて、

 

いかにその上で生活ができているか重要です。

 

 

 

この紙の1枚1枚は“負担”と言えます。

 

その積み重なった紙の山や柱を“身体”や“背骨”とも言えます。

 

 

私たち施術家は、その紙の束の修正可能な部分を、外から整えることが仕事です。

 

 

忙しさの中で、または充実した生活の中で、

 

なかなか自分の身体を省みて調節して生活するなんてことは難しいかもしれません。

 

 

ですが、紙1枚の修正はきっとそこまで難しいものではありません。

 

今からでも遅くありません。

 

 

年齢を、日々を、丁寧に重ねること。

 

 

自分の為に行うことであるとしても、

 

それはきっと世界に対する愛であり、慈しみであり、

 

優しさであるな、と私は思います。

 

 

では、お互いよき時間を今日も重ねていきましょう。