第2回瞑想会ありがとうございました
先日は第2回瞑想会『自分をゆるめ、ゆるす瞑想』でした!
現地/オンラインと前回を越える人数にご参加頂き、良い時間になったかなと思います!
「もしかしたら少し長いかもな」と思う時間で今回瞑想をしてみたのですが、
頂いた感想は「そこまで長く感じなかった」というお声が多く、
無理なくよい瞑想ができたのではないかと思います。
私もついテンションが上がったのか、それとも緊張したのか、
予定の時間を大幅に超えてしまいました・・
それでも「よかった」と感想を頂けたので、
色々な課題や反省は前向きに捉えて、
またしっかり次回に活かしたいと思います。
皆さんと一緒に、私も、この会も、着実に成長・進化していけたらと思います。
ありがたや、ありがたや。
※お写真の掲載、ご厚意でご許可頂きましたのでシェアを
トマトとリンゴの話
今回の瞑想会でひとつ比喩を使ってお話ししたことがあります。
それは、“私達の脳がいつの間にかリラックスを素直に受け入れられなくなってしまうプロセス”についてのお話です。
自分の中では腑に落ちているのですが、私の話術が未熟過ぎてうまく伝えられなかったのでは・・と後で反省したので(泣)、こちらで文面でシェアさせて頂きます。
リンゴを食べたいと思ったんだけど・・
たとえば、今あなたは「リンゴを食べたい」と思ったとします。
ですが、今手元にはリンゴはありません。
ただ、今トマトはあります。
リンゴは今ここにないし、
ちょっと高いし、わざわざ買いにいかなくちゃいけないし、
皮を剥かなきゃいけないし、果糖も摂り過ぎてもなぁ、なんて思う。
そこで無理やり、ここにあるトマトをリンゴだと思い込んで食べることにしました。
同じく食べられるからいいか。
赤くて丸いのも似ているし、甘味と酸味があって、瑞々しくて、しかもリンゴより安いし、色々な料理にも使えて便利。
コストパフォーマンスもいい。
よし、これはもう自分の中ではトマトではなくリンゴだと思い込もう。
運用に問題が無ければ、自然と受け入れ始めます。
そしてそれを続けるといつしか“トマト”は自分の意識では違和感なく“リンゴ”になります。
生で食べる分にはほぼ気にならない。
アップルパイを作ってみた。
何か違うが、そこまで困らない。
まぁ酸味も甘味もあるし、よしとする。
逆に今度はミートソーススパゲティを作りたいと思った。
でもここには”リンゴ”はあるけど“トマト”はない。
でもトマトが必要だ。
じゃあ似ている“パプリカ”を“私のトマト”として代用しよう。
そんな感じでちぐはぐで代用したもののせいで少しずつ歪みが生まれてきます。
ある時、いつしか身体も心も本当にリンゴを欲していると感じる。
よし、またいつものようにトマトをリンゴとして食べる。
でもいくら“それ”を食べても満たされない。
リンゴの満足感を得られない。
だってそれはリンゴじゃないから。
そもそも本当のリンゴを探しに行こうともしません。
「自分のリンゴはこれだ」と信じているからです。
もうこうなると“本当のリンゴ”を食べても上手に受け入れられなくなります。
本人は理解も納得もしにくくなっています。
だって、これをリンゴとして受け入れるのが怖い。
もうそうしたら二度とトマトをリンゴとして受け入れられなくなるかもしれない。
だからこれはリンゴなんだけど、リンゴとは思ってはいけない、
今だけ限定の、リンゴ的な何かだ。
私のリンゴではない。
そうしてリンゴは、いつの間にか脳と身体の拒否対象になっていきます。
癒しが欲しいと思っていたんだけど・・
これを別のものに置き換えてみましょう。
毎日忙しいあなたは、「心身共にリラックスした癒しが欲しい」と感じました。
しかし同時に「今自分にはそんな時間も余裕もない」とも感じています。
【しっかり休んで心身をゆるめて癒す】という行為は、
ある程度の時間も、お金も必要だ。
今自分の立場的にもそれは甘えているような気もするし、
そんなことよりもやらなくてはいけないことが沢山ある。
罪悪感がある。
ならば、代わりに【人からの評価】を【自分の癒し】としよう。
人に褒められると嬉しいし、心が満たされる。
それこそが自分の人生の幸せであると感じるし、
誰からも怒られないし嫌な気持ちもさせない。
それなら罪悪感もないし、その方がよっぽど心は疲れない。
そうして無理やり【人からの評価】を【自分の癒し】として認識させて選択します。
運用に問題が無ければ、自然と受け入れ始めます。
そしていつしか、【人からの評価】は本当に自分の意識では違和感なく【癒し】になります。
元気で何もない時はまあいいでしょう。
休日も家族や友人の為に頑張る。
みんな喜んでいるし、自分も嬉しいし、よしとする。
睡眠という休息の時も、
何かあったらすぐ人の為に動けるように深く入れない。
何故ならそれの方がただ惰眠を貪るよりも【自分の癒し】となると信じているから。
(自分では休みたいと思っても無意識に脳はそう判断している)
だんだんと心身共に疲労が溜まる中、
今度は【人からの評価】だけが求められた。
【人からの評価】を【癒し】として使っているので、
【癒しを伴わない人からの評価】の為には別のカードが必要だ。
なので【数字】で代用する。
良い点数を取ったり、営業成績や売り上げ数が上がったり、
収入などが上がれば、それでもいい気がする。
だんだん【人からの評価】だけでは追いつかなくなり、
【今を乗り切るためのとりあえずの癒し】として、
【おなか一杯ご飯を食べる】とか【エナジードリンクやお酒でリフレッシュする】というカードも使ってみる。
胃腸は酷使するが、満腹感がある。
そんな感じでちぐはぐで理解したもののせいで少しずつ歪みが生まれてきます。
いつしか身体も心も限界に来て本当に【癒し】を望んだ時、
いくら【人からの評価】をもらっても疲労が取れない。
何故だ。満たされない。本来の癒しの効果を得られない。
そもそも本当の【自分の癒し】を探しに行こうともしません。
「自分にとっての癒しはこれだ」と信じているからです。
もうこうなると【本当の自分の癒し】の機会を得ても、上手に受け入れられなくなります。
本人は理解も納得もしにくくなっています。
だって、これを【自分の癒し】として受け入れるのが怖い。
もうそうしたら二度と【人からの評価】を【自分の癒し】として受け入れられなくなるかもしれない。
だからこれは【自分の癒し】なんだけど、【本当の自分の癒し】とは思ってはいけない。
今だけ限定の、【自分の癒し】的な何かだ。
私の【癒し】ではない。
そうして【自分の癒し】のための行動は、
いつの間にか脳と身体の拒否対象になっていきます。
なんでこうなってしまったのか
いったい何がこんなにこじらせる結果にさせてしまったのでしょうか。
「本当のリンゴは今ここにないし、ちょっと高いし、面倒。同じく食べられるからいいか。」
「本当の自分にとっての癒しは今すぐできる訳ではないし、ある程度の時間も必要だし、甘えている気もするし、そんな余裕もない。同じく生きることの充足感を得られるからいいか。」
ここだと思います。
リンゴそのものを許可すればよかった。
自分の癒しそのものを許可すればよかった。
それを色んな理由付けで許可しなかったからです。
何とかこうにか長い時間納得させたものを、
急に「実はあれ違いました!これが本当のリンゴです!これが本当の癒しです!」
と言われて受け入れられるでしょうか?
きっと難しいと思います。
ただ読んでみると「そんなことは自分はあり得ない」とお思いになるかもしれませんが、
このリンゴのようなことがきっと大小沢山あるはずです。
喜怒哀楽・善悪・陰陽…どんな感情も存在していいんです。
今すぐ実行はできなくとも、実際にそれを手にできずとも、それを否定しないこと。
どんな自分もまず受け入れ、許可することからだと思います。
だからこそ”ゆるすことはゆるむこと”に繋がります。
あなたが許可して初めて、脳も身体も受け入れ始めます。
あー!高いけどハーゲンダッツ食べたい!
今週頑張ったら買って食べるぞ!
