2025年ももう終わろうとしています。
皆さんにとって今年はどんな1年でしたでしょうか。
今回が今年最後のコラムとなります。
瞑想会直前というの含め、少しでも心身が軽くなり、
より良い年末年始になるような文章となれば、という思いで今文字を打ち込んでおります。
あぁ、ハードルを上げてしまった・・
もしかしたら多過ぎるのかもしれない
私が施術やヨガ・瞑想などで意識していること、
そしてお伝えしたいことの1つに、
「それはもしかしたら多過ぎるのかもしれない」
というのがあります。
例えば、頭痛でお困りの患者さまがいらっしゃって、
本人は気圧の変化が原因だ、と感じているとします。
私はこの頭痛に対して、
「それは本当に適切な反応か?」
というのを念頭に身体をみます。
気圧の低下は目には見えませんが、確かにあらゆる物質や生体に大きな変化をもたらす要因です。
ですが、気圧の変化は個人に向けられたものではありません。
その地域に住む他の人にも影響しているはずです。
それなのにも関わらず、どうやら全員が頭痛を発症している訳ではありません。
つまり“この頭痛はこの気圧の変化によって必ず感じなければいけない、という訳ではない”
本来は不適切で不要な反応です。
では、他の要因はなんだろうと探します。
ストレートネックだから?ストレートネックは全員頭痛持ち?
肩こりだから?肩こりの人は必ず気圧の変化で体調を崩す?
それは気圧同様、雑な考え方です。
当院では神経の反射を利用することで、
今患者さまが持っている異常を特定することが出来ます。
そうしてよくよく見てみると、
この頭痛を作っていた要因が、
100%の内、
・頚椎の異常が約30%
・肩回りの筋肉の異常が約25%
・ストレスによる脳の誤作動が約40%
・気圧の変化含め、その他の細かな反応によるものが約5%
くらいであったことが施術の経過でわかります。
つまり“気圧による影響は本来もっとわずかでよかった”ということです。
施術をして他の問題が解決されれば、気圧が変化しても、
「あ、なんか身体が重い感じがする・・かも?」くらいであったり、
または気付かずに済んだりと、
本来の適量の負担で良くなります。
ストレスも一緒
それは感情やストレスも一緒です。
喜怒哀楽というのは善悪で区別する必要のない、
人間であれば持っていて良い感情です。
例えば、身内に不幸があれば哀しいと感じるのは自然ですし、
大切なものを傷付けられれば怒りを覚えるのは当然。
これはいたって普通であり適切であると思います。
ですが、そんな怒りや哀しみが、余計に多くなり過ぎてしまっている場合があります。
「周りは気にしていないのに何故自分はこんなにも引っかかって苦しいんだろうか。」
と悩んでいる方は多いかと思います。
しかもそれが頭から離れず睡眠の邪魔になっていたり、
胃や頭が痛くなってしまったり、
本来は楽しい時間や安らぎの時間でも、そうさせてくれなくなったりします。
それは不安感や孤独感、焦燥感、不幸感などにも言えます。
本来ならそんな事を思わなくてもいい状況にも関わらず、
過剰にそう感じてしまいます。
心身は繋がっています。
当然です。
心とは脳の作用であり、
脳も臓器の1つです。
脳から脊髄が伸び、全身の器官に神経を伸ばします。
ストレスは生きていれば必ず発生するもの。
ならばそれは“適切量だけ感じる”ようにすべきです。
適量の見つけかた
当院の施術でもストレスや感情による脳の誤作動反応を検査して整えることができますが、
たとえば色んな本や経験から心に関する知識を得たり、
自分自身を客観的によく見つめ直したりすることでも、
感情の適量を見出すことが出来そうです。
瞑想中、静かにしていると頭の中で沢山の“声”が出てきます。
しかし、穏やかに過ごすことを自分で選択している以上、
どれもが今考えなくてもいいことです。
なので、それらひとつひとつを拒否せず観察しながら、
次の瞬間には
「でも今は不要だな」と手放す。
すると心も、
「あぁ、どうやらこの感情は今は要らないのか。穏やかな気持ちになっていいんだ。」
と落ち着いていきます。
またはそんな変化にもビクともしない脳に鍛えられます。
当院では施術後や瞑想後に“笑い出す”方がよくいます。
それは膨大だったはずの不安やストレスが、
突き詰めた先にとても些細なことだったと気付き、
「自分は結局こんなことで悩んでいたのか」と思えるようになるからです。
心身共に、何も必要以上に苦しむ必要などはありません。
そして心を失くしてロボットのようになるのが正しい訳でもありません。
目の前の不幸は必要な分だけ悲しみ、
目の前の喜びは素直に受け入れ喜び味わいましょう。
それでは皆さま、よいお年を!
