10月になりましたね!
夏がメインで生きている自分にとって、10月はもう年末です。
早速来年のカレンダー入りの手帳を買って、予定や目標などを考えながら、
また次の夏の事を待ち遠しく思う日々が始まります。
秋も大好きなのでハッピーではいます。
瞑想指導者養成講座に参加

7月から9月にかけて、瞑想の指導者養成講座を受講していました。
先日無事全日程を修了し、賞状も頂きました。嬉しい!
講師の先生はヨガ業界ではとても有名な方で、
いつかお会いしたいとずっと思っていた佐藤ゴウ先生です。
私と同じくヒップホップもお好きで、
なんとなく見た目も似ているので勝手に親近感が湧いていたのですが、
実際にお会いするとあちらから「初めて会った気がしないね!」と言って頂けるくらいフィーリングも合い、
お話しする度に心が開けていくようなとても素敵な方でした。

瞑想への興味
もともと私はヨガというものに興味があり、
本を買って独学で勉強したり、
いろんな教室に通ったり、実際に資格の取れる学校で認定を取得したりと学んできた中で、
瞑想にも自然と興味を持ち生活に取り入れていました。
瞑想は悟りを開くもの・・というイメージがありますが、
現在では慢性疼痛に苦しむ人や、
集中や感情のコントロールが上手くいかない人にも有効であり、
一般的な脳トレよりも実際に脳に大きく変化をもたらすというデータが沢山出てきています。
是非それを学び、より多くの心身の悩みで苦しむ方に提案したいという気持ちで今回の講座に参加しました。
ですが、瞑想というのは
“ただ座って心静かに集中する”
というだけにも関わらずなかなかどうして難しいものです。
私は「この講座で沢山の知識や実践的な技術を学ぶぞ!」と楽しみにしていました。
その結果は、最初に想像していたものとは大きく異なるものとなりました。

学んだこと
3ヶ月の講座の中で、‟直接的な瞑想の方法”を学んだ時間はそんなに多くはありませんでした。
今回学んだのは【知識】や【方法】
よりも【真理】と【人との在り方】でした。
私は“先生”というのは、
正しい知識と正しい方法を教える人のことだと思っていました。
しかしそれでは、ただの知識や方法の横流しになってしまいます。
私は自分の興味のあることに関しては、勉強をすることは苦ではありません。
ただ、勉強して知識を得ても充分ということはいつまでもあり得ず、
それを患者さまにただ伝えるということに関して、ここ最近虚しさのようなものを感じていました。
講座の中で「寄り添う」という言葉が出てきました。
寄り添うこととは、
近付くことであり、
近くにいる時に相手が安心できることです。
「先生だから偉いんだ」
「先生のいうことなんだから黙ってそれを学べばいいんだ」
というのは寄り添いとは言えません。
壁や線を作り、ただ傲慢に知識や理屈を押し付けるのではなく、
相手が今どのような状態かを知ろうとし、そのままを受け入れて、接する。
そして、それは他者にだけではなく、自分自身との向き合い方にも言えることです。
「これが正しいのだからそのまま学べばいいんだ」
「知識も経験も未熟なら黙っているべきだ」
という押し付けが自分自身を苦しめ、
結果的に自分も得た知識も邪険に扱ってしまっていたことに気付きました。
そして、そもそも私は、私達は、
瞑想を何故学んでいるのか。
何故瞑想をするのか。
それは単に能力を上げたり、気持ちを落ち着かせるためではありません。
それらを通じて「幸せになること」。
それが絶対に忘れてはいけない真理。
正しさを追い求め、苦難があったとしても、
それは幸せのためのプロセスでなければ意味がない。
正しさだけでは空しい。知識だけでは虚しい。
幸せの実感がなければそれは無意味です。
そのために寄り添う存在になる。
先生は一貫して“愛が全て”とおっしゃっていました。
最初は聞いていてもなんだかこっ恥ずかしかったのですが、
考えれば考える程、今ではその通りだなと思います。
これからヨガの指導者として、
治療家として、
この社会の一員として、
そしてかけがえのないたった一人の自分として、
偉そうな存在ではなく、
ゴウ先生のように会った瞬間につい心を開きたくなるような
そんな人間になりたいなと思いながら
瞑想を続けていきたいと思います。
いつか瞑想会なども主催したいと思っておりますので、
機会ありましたら是非お気軽に参加してみてください。